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2021.02.18

先達

パンデミックによって、未だ揺れ続ける2021年。
スポーツ界も、大会開催の是非や、観客の方々との接点の模索、加えて東京オリンピックの諸問題が広がり、混迷しているように感じます。
私共も、アスリートの一員として、深く考えさせられることが続いています。

このような事態の中、スポーツの意義とは何か、自分たちの存在の意味を、自分自身が問いかけてきたように思います。グランドスラムのステージを目指し、ひたすら鍛錬の日々を過ごすだけでなく、「どう生きるか」と、パンデミックに問われているようにも感じます。

そんな中、道を示してくださったのは、先達のプレーヤーの存在です。
Arthur Ashe(1943₋1993)
私が最も尊敬するテニスプレイヤーのひとりです。といっても、日本の地方の街で育った私は彼のプレーを観る機会などはありませんでした。
しかし、子供時代から手に届くテニスに関わる本や雑誌、(不思議に求めるものは手に入るものです)で彼の写真を眺め、その経歴に目を見張り、そこから、世界の在り方も考えさせてもらった、といえます。
黒人として初めて男子シングルスのグランドスラムチャンピオンとなった、アーサーアッシュ。

子供の私が「人種差別」という存在を実感したのは、彼によってです。そして、偏見を持たず、自らも、公正に生きていきたいと思わせてくれたのも、彼の姿勢でした。
どの写真や記事からも、非常に紳士的で、優しさと知性が感じられ、国や人種ではなく、「個」として人がどうあるべきか、を感じさせてくれました。
遠い国の、女の子に、このようなことを感じさせるのは、スポーツの力のひとつではないでしょうか。

同じことを感じたのは、MLBのハンクアーロン選手です。ベーブルースの記録を破る際の「激励と脅迫」という真逆の熱狂…そういう人々の感情を知ると共に、アーロン氏もまた、アッシュ氏と同様、紳士的であり、人種などを越えて、野球に対して真摯に向き合う姿勢を見せてくださったように思います。
(アーロン氏は先月の22日に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします)

1993年、「DAYS OF GRACE」(邦題;静かな闘い)という一冊が出版されました。
心臓手術の際の輸血によるエイズ感染により、逝去したアッシュ氏の自伝です

ここには、人間の心にある差別や偏見、それは、人種だけでなく、ウィルス(当時のエイズウィルスへの偏見は大変なものでした)や、ジェンダーの問題も、書かれてあります。
読み返すたびに、アッシュ氏やその家族の方々が真摯に生きていくこと、を教えてくれました。

今、人種差別や男女差別、トランスジェンダーの差別問題が論議され、日本でも遅れている感はありますが、問題提起されています。
しかし、半世紀前に、テニスツアーでは、男女同権を提起し、この本には、ツアーの同性愛問題なども、普通に記述されています。
何より、アッシュ氏がアスリートとして、かつ人としてどう生きるか、を受けた差別も包括して、家族を愛し、守りながら、向き合う姿勢を見せてくれました。

この、素晴らしい先達の存在は、テニスツアーの中で生きようとしている私達の指標です。

どんな職業、仕事であっても、真摯に向き合い、自らに正直に生き抜くことの大切さを教えてくれます。本の中で、「当時、スポーツ選手はまじめな職業と考えられず、軽業師かピエロのような存在だったが、真剣に評価してもらえる仕事がしたかった」との記述がありました。
彼は、その気持ちや自分の考えを大切にし、テニスに没頭しながらも学び、節度ある生活と社会への意識を保つ姿勢を、貫いていました。

スポーツの存在価値の議論に触れる度に、私は、アッシュ氏の生き方を思い起こし、このような人間の存在こそ、スポーツの価値の一つと思い返しています。

今、全豪オープンで、大坂なおみ選手が、日本人として素晴らしいプレーを見せてくれています。彼女もプレーだけでなく、アスリートたる一人の女性として発言し、生き方を魅せてくれています。単一民族国家として慣れていた、私たち日本人にとって、彼女の存在は、これからのグローバルな世界における日本の在り方の指標にも見えます。

テニスは、本当に様々なことを教えてくれます。
パンデミックで、混沌とした不安の中にいる今こそ、歴史や先達の存在に学び、奮い立っていきたいと思います。

「DAYS OF GRACE」の最終章はアッシュ氏の愛娘への手紙です。この手紙には人として、父親として生きることの、すべてがあります。
その中の一部を抜粋します。
「決して、人種差別も性差別をベストを尽くさない言い訳にしてはいけない。人種差別も性差別もおそらく、いつまでもなくならないだろう。だが、いつも、それを乗り越える努力をしなければならない。
どのような人々の中に入っても、彼らが善良な人である限り、ゆったりと打ち解けることができるように。テニス選手として世界中を旅行した経験から、さまざまな種類の人々と友情を持つことが可能だと知った。
そして、それが計り知れないほど、人生を豊かにしてくれる。
自分を狭い殻に閉じ込めてはいけないし、ほかの人にもそうさせてはならない。・・・」(「静かな闘い」山村宣子訳  より)

人はどう生き、どのように死に向かうのかを彼は示してくれました。テニスというスポーツに関わり、このような先達にめぐりあえたことに、心から感謝します。
アーサーアッシュスタジアムは、全米オープンの会場であるだけでなく、尊敬するアッシュ氏に続く気持ちを持って、目指したい場所なのです。

(Mayumi.H)